デザイナーの働き方・建築家の仕事。 “ほしい暮らしは自分でつくる”話。
ディレクターズ・コラムを始めるわけ。
2017年になって、今年の事業を考えていく中で、「ディレクターズ・コラム」という新しいカテゴリーを作った。(実際には仕様だけ決めて作ってもらったのだけど。)
理由は3つ。
・零細な事務所として、ある程度は代表としてのキャラクターや顔や思いが見えたほうがいいだろうということ。
・Webを専門のひとつとしていて、現状はmだSEO的に問題あるんじゃないのかってことにそろそろ対応しないといけない気がしたこと。(Web制作の部分で検索順位も少しはあげたいですけど、Webの制作手順や世の中の動向のこととかHowToとか書いていくんだろうか…。)
・そして一番は、これから先、Webの制作会社として事業を大きくしていきたいというわけではないこと。今までやっていないことをやるときには、ビジョンを語って理解や協力をしてもらわないといけない。そのための枠が必要になったこと。
そんなことを考えながら、実際には何を書いたものかと気負ってしまい、器だけできた状態で最初の記事をなかなか書けないままにひと月以上が経ってしまった。
デザイナーの仕事、そして建築家の仕事
これからのデザインの仕事というかお金の稼ぎ方は、これまでと変わってくる必要があるとうっすら思っていた。
らいおん建築事務所 嶋田洋平さんの著書、『ほしい暮らしは自分でつくる ぼくらのリノベーションまちづくり』を読んで、いろいろと言葉にできていなかった思いが言語化されて、すっと腑に落ちた。
建てない建築家という選択。空き物件や空き家を「有休ストック」として捉え、リノベーションでまちを生き生きとさせる、新しくて現代的な建築のあり方。
読んでいる途中から、なんだか勇気が湧いてくるのを感じた。
先をどんどん知りたくなり、一気に読んでしまった。
(そしてこれが最初の記事にふさわしいと思った。)
「TOKONAME STORE」のデザインを手がける高橋さんと話をしたときにもハッとしたことだけれど、従来のデザインの仕事は売り切り型の仕事が多い。
これからもそれでいいのだろうか。
なにかのPRのためにかっこいいビジュアルを作る、キャンペーンを作る、パッケージをつくる、プロダクトをデザインする。
あるいは、ブランドを育てるためのコンセプトやコミュニケーションのためのプランを考える。
納品して、リリースして、あるいはプロジェクトが終わって、おしまい。
“ではまた、次の案件でお会いしましょう。”というわけで。
その対象が売れても売れなくても、PRのキャンペーンはすぐに打ち切られてしまっても、あるいは大成功しても、収入は変わらない。
いいキャンペーンや魅力的なデザインを行えば、仕事が増えて次の仕事の受注や単価の向上につながるとしても、それはクライアントの利益と直結しているわけではない。
デザイナーの利益はかけたコストを引いた売り上げから生まれる。
常に新しい案件を求めて作っていく。まるで焼き畑農業のように。
建築でも同じような構造があるのだそうだ。
建築家の収入源は、多くの場合、建築費の総予算から10%程度が、受け取る設計料=報酬となる。
低コストで素晴らしいアイデアを織り込み施主の要望を上回るより、アイデアはそこそこにコストを落とさず、むしろできるだけ予算を膨らませたほうが儲かる。
つまり経済的に合理性の高い行動を追求すると、クライアントの利害と相反する部分が出てくる。
その問題に対して、この本で嶋田さんは「キャッシュポイント」を変えることが必要ではないかと答えていた。
「キャッシュポイント」を変えれば、同じ方向を向ける
「キャッシュポイント」とは、そのままお金が発生する時点のこと。
プロジェクトやデザインが生み出した利益に応じてお金を得ることにし、先に制作や開発のための費用としてお金をもらうのではなく、生み出した利益から比例した一定のお金を継続して受け取る。
そうすることでクライアントと同じ責任を共有し、同じ地平に立ってコミットできるようになるし、同じ方向を向くことができる。そうすると、一緒にがんばれる。他人事だったことが、自分事になる。
クライアントワークではなく、共同出資者になったり、自らがそのリスクを負う。
ときにはデザイナーだけでなく、まちづくりのプロジェクトに関わっている公務員や参加者のすべてにそれを求めていく。責任を持ち、自分ごとにしていくこと。社外の人に対しても、デザイナーはインハウスデザイナー(社内のデザイナー)のように、あるいは共同経営者のように振る舞うようになっていく。
関わる人が責任と協力する意志をもって、参加することが、今の社会には合っているし、必要なことではないだろうか。
例えばこの本で紹介されている取り組みの一つに、 北九州家守舎による「リノベーション賃貸」がある。
まず空き物件を自分たちで出資して借り上げリノベーションして貸し出し、その貸し出した金額と借りた金額の差益を収益とする賃貸業を繰り返すことで、空き物件を起点に地域が変わり、活性化していくという仕組み。あるいは、借主と一緒にリノベーションする仕組み。
いわば、SOHO地区やブルックリンなどのようなところで自然発生的に起きたことを、人為的に動かしていく仕組みを組織化したものだと思う。
その際のやり方で面白かったのは、特に一番ボロボロな、どうしようもない困った物件だと周りの人が思うような物件を最初に蘇らせて、新しい価値を見出してくれる人とつなげていく。するとその成功事例を見て、あの物件でできるなら…と、空き物件の用途や可能性を考えるように周囲の意識が変わってくるのだという。
「オーダーメイド賃貸」のように借りる人がリノベーション費用をすべて負担するわけでもなく、オーナー、デザイナー、借主が3者で費用を出し合って、物件を一緒に作り変えていく。
そのエピソード以外にも、出資や場所の提供はしてもそこでおこなわれることの中身については若い人たちに対して口は出さないという出資側の”粋”さが必要だといった話も、本当にそうだよな…。と強く共感した。
「一度いいと言ったからには、二言はありません。好きなようにおやりなさい。」 …いつか言ってみたい。
「ほしい暮らしは自分でつくる」( Do It With Others. )
この本のタイトルの一部にもなっている、「ほしい暮らしは自分でつくる」。
その言葉を素直に受け止められ、つくろうという気になってくる、素晴らしい内容だった。
未来が良くならないのは、自分達が良くしようとしていないからだ。
すべての(ではなくてもいいけれど、)なんだかなー…という思いを抱えているデザイナーや建築家(もちろんそれ以外の職種の人たちも)が、自分たちの取り組みで利益を生み出す仕組みを作ろうとしてその活動にコミットしけば、世の中は変わってくる。
関係性がお金を呼び込み、仕事を生み、たくさんの人がそこに関わり、地域に活力みたいなものを生んでいく。これからまだまだ生きていけない僕たちは、そういうことを仕事にしないといけないのだろう。
そしてデザインというのは、そもそもそういう体験や仕組みのためにあり、それを気持ち良くいい感じの中で実現させていくためのものだと思う。
『ぼくらのリノベーションまちづくり』を読み終えて、これからは(なるべく)文句を言わず自分で解決するように考えて、一緒に取り組める人たちと仕事をしようと思った。
背筋が伸びて、視界が開けたような気がした。
そういえば僕は、働くときは、できるだけその職場や仕事のある場所の近くに住むようにしている。
通勤時間が無駄に感じられるということも大きいけれど、その地域の空気感や、そこの住民としての思いみたいなものが、仕事をする上での一つの判断基準になると思っているから。
「知多デザイン事務所」という屋号をつけたことも、正直ちょっと直接的すぎて恥ずかしいなと思っているところもあるけれど、そういう決意みたいなものもちょっと入っているんだということに今になって気がついた。
自分事として関わり、一定の責任を負って自分達で変えていくこと。
1ヶ月遅れではあるけれど2017年、そしてこれから当面の所信表明として書き残しておこうと思った。(開業2年目を迎える今年、きっといろいろやりますよ。一緒にいろいろやりましょう!)
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